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スピノザと建築

  • 6月15日
  • 読了時間: 3分

更新日:8 時間前

1年ほど前から、哲学者の濱田力希氏と定期的に哲学対話を行っています。

「コンサルティング」と呼んでもよいのかもしれませんが、どこかその言葉には違和感がありますし、本人も少し気恥ずかしく感じるかもしれません。なので、私たちは「対話」と呼んでいます。


目的は、会社のフィロソフィーを明確にすることです。

これまで歩んできた道のりを振り返り、今どこに立っているのかを確認し、そしてこれからどこへ向かうのかを考える。そのための取り組みです。


そんな対話を重ねるなかで、濱田氏から勧めてもらったのがスピノザ哲学でした。

哲学といえば、高校時代の倫理の授業を思い出します。

もちろん当時は大学受験のために勉強していただけでしたが、「我思う、故に我あり」というデカルトの言葉が不思議と記憶に残っていました。

そしてその言葉に感覚的な共感を覚えていました。

「そうそう、人間は考えることから始まるんだ」

そんなふうに思っていたのです。


ところが、スピノザはまったく違うことを言います。

スピノザによれば、精神の対象は身体であると。

人間という存在は「精神」と「身体」という二つの属性から見られる様態であり、精神が身体を支配しているわけでも、身体が精神の従属物でもありません。

つまり、精神が先にあるのではなく、身体があるからこそ精神がある、という考え方です。


なるほど、と思いました。

考えてみれば、日本語にもその感覚は残っています。

悩みがあると「頭が痛い」と言います。

怒りがこみ上げると「腹が立つ」と言いますし、「はらわたが煮えくり返る」という表現もあります。


スピノザはさらに、身体をより良い状態に保つことが、精神の良い状態につながると説いています。

これは理屈としてではなく、実感として理解できます。(特に年齢を重ねるほど。。。)

精神は身体から切り離されたものではないのです。


そしてスピノザは、その身体を良い状態に保つためには「他との関係」が重要だと説きました。

ここでいう「他」とは、人だけを意味しません。

お気に入りの音楽かもしれません。

心地よい風と光かもしれません。

そして私たちの仕事である「空間づくり」もまた、そのひとつだと思います。


どんな人と、どんな時間を、どんな素材の中で、どんな景色を見て過ごすのか。

家族も便利さもデコレーションも思い出も快適さも全て包括したものが「場」をデザインすることだと考えています。


場が身体へ影響を与え、そして精神へとつながっていく。

これこそが人にとって「理にかなっいる」ことだと思います。

合理的という言葉を聞くと、効率や理論を優先することのように聞こえるかもしれません。

しかしスピノザから受け取ったのは少し違う意味です。

その人の身体や精神にかなっていること。

その人がより良く生きられる状態に向かうこと。

それこそが本当の意味で理にかなった状態なのではないでしょうか。


自分が目指したい建築もまた、そういうものです。

見た目のデザインだけではなく、使う人にとって心地よく、自然で、無理がないこと。

その人の身体と精神が少しでも良い状態になれる環境をつくること。

そういう意味で合理的な場をつくりたいと思っています。

 
 

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